和紙が世界遺産登録というニュース。
多くの人が感じているだろうけど、不自然な点がいくつかある。
ポイント1 最近
ここ数年での世界遺産登録はほぼ毎年のようだ。
もちろん、どれも世界に誇れるものに間違いはないのだけど。
ただね、広島の原爆ドームと法隆寺と東照宮と和食と石見銀山と
審査するとしたらどんな順番になるか。
清水寺と三千院と鞍馬寺はどうなのか。
そもそも、ものの価値を見出すのは個人の感性、知識である。
京都は70年代や80年代は世界遺産ではなくて94年に世界遺産というのもオカシイ。
京都は1500年の歴史があるのにね。
ポイント2 誰が
結局ここに行き着くわけで。
外人から見た日本なんだなあ。
日本の文化なんかどうでもいい。
石見銀山なんて代表例、誰もあの価値を見いだせないでいた。
ポイント3 最後は
金なんだろうね。
日本側は選んでいただければ観光客ワンサカでお金儲けができる。
その先行投資で審査員にジャパンマネーと接待。
多分、下手な鉄砲も数打って外人の触手に触れた物があれば
あとはマネーでゴリ押しという図式ではないか。
というわけで、これからも闇雲に世界遺産登録のための運動は続くのである。
文化のためでなくお金のためにね。
実際に、富士山にしても「世界遺産登録ときいて来ました」というバカがたくさんいた。
富士山は昔からあるし、誰もが美しいと思うし、誰もが見たいと思う。
何をいまさら、である。
ということはつなげていくと、このジャパンマネーはバカから金を巻き上げるため、
という図式になってしまう。オカシイかな。