地下深くで何日も何週間も閉じ込められた人たちは大変である。
私のように閉所恐怖症の人間には想像を絶する。
ところが彼らは耐えぬいた。
見事な精神力である。
ところがである。
いよいよ救出となると拒んでいるそうなのである。
自分が最後でよいという理由を整理してみた。
1. 案外良い環境
狭い中に押し込められてかわいそうである、が、実際はどうだろう。
私らも昼間は会社に縛り付けられて夜に帰宅してのびのびできるか。
実は、帰宅しても狭い部屋で家族とぶつかりながら生活している。
もともと広々した場所でのんびりするなんてほとんどない。
きっと彼らも家に帰っても、死の恐怖や自由を制約されることはないにしても
環境はそれほど変わらなかったりして。
2. なれた職場での生活
暗く狭いトンネルの中での生活は私の想像を絶する過酷なものだろう。
しかし、ひとつだけ救いは彼らはそこの労働者であること。
もともとそういうところで働いていたのである。
確かに劣悪ではあるが我慢しやすいと思われる。
3. 案外良い生活
彼らのために食料や酸素の他に、音楽機器やゲームなどが支給されている。
大変な生活ではあるが黙っていても食事ができてゲームが楽しめると言うのは
案外良かったのではないか。
想像だが鉱山労働者の賃金がすごく良くてすごく良い生活をしていたとは思えない。
暗くて暑いトンネルの中で肉体労働をせざる得ない理由がそれぞれあるだろう。
それが、一時的に開放されたわけである程度ガマンできるのなら悪い生活ではない。
4. マスコミがあおる
開放された瞬間に事件は終わる。
少なくても数カ月は大変な思いをされた人としてマスコミに露出するだろう。
それがお金につながるのかもしれない。
家族も写真や看板でアピールしている。
死んだりケガをしては元も子もないが、生きてでられるのであれば
ちょっとはおいしい思いもしたいだろう。という打算が働いているようだ。
それをマスコミが煽ってきたようだ。