田代まさしの「いかりや長介さん・志村けんさんの不仲」証言

田代まさし氏の「いかりや長介さん・志村けんさんの不仲」証言
というYahooニュース。

文面を見ても釣りばっかりのYahooニュースならではのガセネタ。
そもそもドリフの中でいかりやと対立構造は有名な話。お金の話もいろいろあったのだけど当時のドリフはお金を使うヒマがない忙しさ、さらに番組はどれも大ヒットしてお金が落ちてくる。骨肉の争いをする必要がなかった。
田代まさし、また何かやったのか、という方に目が行く、つまり釣り。
こんな精神を病んだ元タレントの話を本気で聞く人がそんなにいるのか。記事では田代まさしと志村との関係をうだうだ書いていたが、それは事件前の話、今更あの人の話をネタとして語る人なんて、、、いた、ヤフーに、という感じだ。
今でもドリフの特番やこんなネタがニュースになる、偉大なグループだった。

1960年代中盤、クレイジーキャッツの弟分みたいな感じでデビュー、武道館のビートルズの前座として有名に。もともとリズムネタのお笑いグループだった。全員集合の掛け声が先に彼らのヒットネタ、全員集合を冠した彼らの番組が土曜のゴールデンを席巻したわけだ。1970年代、全盛期、私は小学生、ギャグだけでなく挿入歌も大ヒット、映画も寅さんの抱合せで。付き人だった志村が加入してピークが長続きすることに。1970年代終わりになると陰りが。やすきよを頂点とする若手大阪お笑いの台頭である。横澤彪のザマンザイが時代の分かれ目とされているが実は70年代に入ると大阪のお笑いが全国区となったヤングオーオーという番組が最初。当時売出し中の桂三枝と仁鶴が中心になってその下の若手の桂文珍、月亭八方ら、さらにまだ20代前半の紳助やさんまが人気なる。フジテレビの横澤彪はこの関西勢若手に関東からツービートを見出してザマンザイ、そしてドリフの牙城を潰しにかかった。『オレたちひょうきん族』1981-1989を同じ土曜20時にぶつける。さんま・たけし・紳助ら「漫才ブーム組」をコントに起用して、アドリブと楽屋ノリでドリフの「作り込んだコント」に対抗。
そして1985年4月についにひょうきん族が視聴率で上回ると、その年の秋に全員集合は最終回になる。
ただ志村けんの活躍はこのあとも続き伝説となる。
同時にこのあとフジテレビはみなさんのおかげでした、などでしばらくテレビの頂点に立つことに。横澤はその頃笑っていいともの放送時間の問題で幹部ともめてフジテレビを辞めてよしもとに移籍した。