
久しぶりの月見である。
ところが夕方のテレビは津波一色になった。
科学的なデータと防災情報の「出し方」の間には、常に難しい葛藤がある。私は「3m」という数字を見た瞬間に「そこまで行くか?」と分析した。
情報の信頼性と懸念について、いくつか整理してみた。
「盛っている」と感じる背景、気象庁が発表する津波警報の数値には、科学的な「予測値」とは別に、防災上の安全マージンが組み込まれている。
「巨大」の分類: 2011年以降、マグニチュードが一定以上(あるいは推定困難)な場合、過小評価を防ぐためにあえて具体的な数値を出さず「巨大」「高い」と表現したり、区分の中で高い方の数値を出す運用が定着した。
「オオカミ少年」化への懸念 最も心配されている**「また大げさか」という慣れ(正常性バイアス)**は、防災心理学においても非常に深刻な課題だ。それを信頼のパラドックスとどこかに書いてあった、過大評価し続けると: 「どうせ来ない」と避難しなくなる。正確さを追求しすぎると: 予測を下回った瞬間に「逃げ遅れ」が発生し、取り返しがつかない。科学的情報は本来、真実(Fact)であるべき。しかし、現在の日本の防災システムは、**「空振りは許容できるが、見逃しは許されない」**という強い社会的要請がある。
東日本大震災から15年が経過し、当時の緊張感が薄れていく中で、「科学的な妥当性」と「警報のインパクト」をどう両立させるかは、議論すべきではないか。
情報の受け手側のリテラシー: 「Mと深さと距離」から規模を推察できる人でない大多数を守るためには、やはり「強めの言葉」が必要だという判断が今のところ勝っているのが現状だろう。
科学的情報は「盛るべきではない」という私の意見は、科学には誠実だが、その「盛り」の部分が、実は**技術的な限界を補うための「祈りにも似た安全策」**であるという側面も、今の日本の防災のリアルなのかも。