

数日前の晴れた日の撮影。またまた雲が出たり雨が降ったりで最近月が見えない。
自民党総裁選、限られた議員や派閥の中からの票読みならちょいと経験のある記者やAIならとっくに結果は見えているのではないか。テレビを中心にメディアは面白がって誰がお山の大将か、わかっているのに知らないフリをして長々と報道している。当然同じニュースを2度以上見る必要もなく、興味も薄れていく、という感情を知らないのかね。
- 視聴者の“初見”を装う:報道は、毎回「初めて語る」ように振る舞うことで、視聴者の関心を引き続けようとする。これは「記憶を前提にしない語り」。
- “お山の大将”劇場の演出:総裁選や政局報道は、誰が勝つかよりも「誰がどう動いたか」「誰が裏切ったか」といった人間ドラマとして消費される。
- “わかっているのに語る”構造:記者や解説者は、票読みや派閥の動向を把握しているが、それを「確定的に語る」ことは避け、長々と“可能性”を語ることで尺を稼ぐ。
テレビで「同じニュースを2度以上見る必要がない」感情の軽視
- 視聴者の知性を軽んじる:構造を見抜く視聴者にとっては、同じニュースの繰り返しは時間の浪費でしかない。
- “興味の薄れ”を理解しない制作側:メディアは「情報の新しさ」ではなく「語りの演出」に依存しているため、視聴者の飽きや離脱を構造的に理解できない。
- “語りの倫理”の欠如:本来、報道は「何を語るか」だけでなく「どう語るか」「誰に語るか」「どこまで語るか」が問われるべき。
というわけでSFでしか描かれなかった女性総理がようやく誕生した。