
下弦を過ぎて未明にならないと月はみられない。これは2時頃撮影したものだ。
15日靖国神社に参拝者が殺到、というニュースを見た。靖国神社は文化遺産として価値があるし残すべきだが、英霊に祈るというのになんとなく違和感、アジア諸国の言い分がなんとなくわかるようになった。テレビでは堂々と「日本のために戦った兵士」といい切っているが、戦地で死んだ兵士の大半が戦いで死んだのではなく病死や餓死、玉砕の強要、特攻などの自殺行為を強要されたものだ。また日本軍は他国の人たちにひどいことをしたのは有名だが、実は軍の中でも上が下に制裁や無茶な命令を日常化していて現地人以上にひどい仕打ちを受けた兵士も多い。英霊と言うよりは戦争被害者としての位置づけになる。日本人には戦犯の合葬よりも私はこちらの方が本題だと思う。
15日は平和を願う1日であるが、団塊の世代以降の人はそもそも戦争を知らない。戦争の悲劇を繰り返さないとは言うが見聞きしたことをそのまま盲信して経験していないことを声高に訴えるのも不自然だし戦前と同じことだと思う。もちろん紛争国の惨状を見るにつけなんであんなことやろうとするのかという疑問が強い。抽象的に平和の世の中に平和を祈るというよりは、なぜ戦争をやりたがるのかという方にもっと耳を傾けるべき。映像の世紀は史実に忠実で深いところまで追求する構成なのだが、何故か日本の戦争だけは自然に始まったような表現。山本五十六のように開戦反対という頭の良い上官も多数いたはずなんだけど、沼に兵士を突き落とそうとした政権や軍部に多数いたわけで。
関東大震災、大恐慌から日中戦争までの10年、そして真珠湾までの数年に何があったのかの検証をしなければ本当の平和教育平和祈念にはならない。