「年賀状じまい」が加速というYahooニュース。
関連記事の項目にはかなりの数が並ぶ。
自宅のPCから写真付きのメールを送っても実質0円である。それを一人につき85円と印刷代数円かけるというのはあまりにも非効率、無駄遣いである。かといって、年賀状を切り捨てるのも???である。
というのも私に届く年賀状の多くが手書き、もしくはそれに近いもの。定型文で印刷して空欄に「元気ですか」は案外少ないのである。前回の郵便値上げ、多分消費税が上がった頃、から年賀状の削減を始めた。一部の大先輩から「そういうものでもないだろう」と批判の声。それとは逆に80歳を過ぎた大先輩からは「年賀状じまい」という文面が見られるようになった。
前にもここで書いたことがあるが、地方の美術展に行ったとき受付にいた版画家と仲良くなり20年以上年賀状の交換をしていた。その先生とはその時以来会っていないけど。そんな年賀状友人が数人いるのだけど、おしまいと書く勇気がない。
逆に定型文だけ印刷したものを自筆なしでポーンと送ってくる相手は安心しておしまいと書けるのだけどね。
昭和の若き頃、教員をやっていたときに生徒に「冬休みの宿題は先生に年賀状を書く」と言うと「えー」となる。「もちろんこれは強制ではない、嫌な人やお家の都合がある人は無しでいいです」
それでも45人のうち30枚くらいは届く。当たり前だけど返信をすることになる。令和の今にそんな宿題をだしたなら「不適切にもほどがある」と非難轟々だろうね。(笑)
そんな昭和の終わりの頃、明治生まれのばあちゃんが11月に死んだ。さてこまった。喪中の期間だから年賀状はなし、といえばいいのだが本来の教育的な(たいした教育効果はないが)目的はどうなる。すると両親から「お前は教員、生徒から来るだろうから」と言われた。というわけで職場、友人関係以外は年賀状ありとして「冬休みの宿題」も決行できた。教員になって喜んでくれたばあちゃんも許してくれただろう。
今となっては1枚85円である。業務スーパーに行けば安いカップ麺が買える。ちなみに日清カップヌードル1972年頃から売れ始めたが当時100円、調べてみると1972年に郵便料金値上げではがきは7円から10円になった。
郵政は馬鹿である。かきいれどきの年賀はがきを自らなくしてしまおうとしている。もしこの文化を残したいのなら年賀はがきだけ半額40円とかにすれば売れるのに。そうすれば印刷屋やプリンタも売れるし経済効果分はプラスになるんじゃないかな。郵政は民営化したのに国鉄のような赤字の道を歩んでいる。いつまでも日本全国同一サービスにこだわるなど民間としてはズレている。