番宣と才能

先週はどの番組を見ても三谷幸喜長澤まさみが出演していた。特別ゲストではなく映画の宣伝である。彼らは経験豊富でいろいろなエピソードを持っているから、見ていてつまらないと想うことはない。が、また出ているという感は否めない。彼らも芸能界のトップの人達であるから、こんなテレビの出方をしたら、と思っているはずなんだけど、最後はお金、興行収入に関わる話なんだろうね。
もっとわかりやすいのが洋ちゃんである。この10年以上トップで働いている重鎮だが、彼のバラエティ番組での面白さはぴかいち。やっぱり見ちゃうよね。洋ちゃんはドラマと映画をだいたいかわりばんこに出演撮影していて、終わると宣伝でバラエティ番組に引っ張りだこ、毎日見ることになる。彼もどこかの番組で「撮影と番宣の生活に」と愚痴をこぼしていたが、他と違うのは彼はバラエティ番組が大好きなのだそうだ。
先日、私と同世代の柳沢慎吾笑点に出演で話題になった。彼の個人芸が落語や漫才と同じ立ち位置まで昇華したと話題になった。
才能や美貌は誰もが持つものではない。その一握りの人達がこうしてテレビなどで活躍して私達を楽しませている。

先日どこかのニュースで生活保護の支給金額が減るとのニュース。顔出しNGの受給者が「これでは困る」というのだけど、働かないで月に十数万円もらっていて何が困って何が不満なのか。私は人生で長い事手取り20万円以下の生活をしてきた。それも身体を壊すほど無理をしたこともあった。入院をしたときは不憫に思ったのか、両親が入院費の一部を出してくれると言ってきた。もともとお金がなくて、才能もない下級の人たちはこうして苦労して働いてお金をもらってやりくりするしかない。働かないと働けないは違うはずなんだけど生活保護は優しいのである。
どこかのパワハラ知事が大学無償化を推進したと言っているが、タダで大学で学ぶような人たちの支持はあるだろうが、親も子も苦労してなんとか大学を出たという人には苦々しい気持ちになる。そのお金は知事のポケットマネーではないだろう。人のお金で普通に大学に入れない人をタダで入れてやって本当に日本も本人も良くなるのか。
私は逆で小学校からの義務教育も有償化すべきと思っている。そしてしっかり進級基準を作ってちゃんと勉強した人が上がっていく当たり前のシステムを作るべき。嫌なら私立の引きこもり専門の学校に行ってその分高いお金を払って勉強させるべき。これで教員は不登校の指導の手間がなくなりちゃんと学校に来ている人の指導に集中できる。学校に行きたくない、行けない人はそれなりにいるがそれを通常の公費や人件費を使うのはおかしい。中には才能が隠されているかもしれない。親はお金をかけてその才能を伸ばしてあげるべき。学校のせいにするのは間違っている。