5時に帰って何しているの??

私の仕事、職場はニュースにも度々紹介される超ブラックである。詳しい数は知らないが病気休暇、途中退職の率も高いそうである。
そしてブラック企業の通例、会社への忠誠を誓わなければならない。もちろん守秘義務などの法的な話や上司の言うことを聞くというのは忠誠もへったくれもない。アタリマエのこと。話はここから、まず仕事を増やすこと。他の営業所でやっていないことを作り出せば成績になる。当然、子育てや再雇用の人も巻き込むのが基本。どんなに頑張っても成績は言い出しっぺのもの。言い出しっぺが3年5年で転勤していっても誰かが責任者にされてどうでもいい仕事は継続される。
つぎにサービス残業を強要される。〇〇課の会議を17時以降に設定される。もしくは16時30分から会議を開始。サービス残業は忠義心があるかどうかの踏み絵だ。「すみません、勤務時間なので帰ります」というと上司は文句こそ言わないが忙しそうに書類をめくりながらめんどくさそうに「お疲れさまでした」という。同僚も下をむいたまま「おつかれさま」という。当然、翌日に親切に教えてくれる同僚もいない。ブラックたる所以のクレーム処理についても私に対しては何の事情も聞かずに「こんなクレームが来ています」と詰めてくるだけ。

となりのデスクの人が「そんなに毎日早く帰って何しているの」と雑談で聞かれた。「酒のんでぐったりして明日への体力温存」といっているが。
もちろん将来のある人はいい、どんどん頑張り挑戦すべきことがたくさんある。さらに中堅になれば昇進も考えるだろう。頑張りどころである。昇進すれば給料も上がるし肉体労働が減る。ところが非正規の私は違う意味で頑張る必要がある。成績が悪いと来年の仕事はないよ、ということだ。運がいいのか持っている資格や経験が良かったのか途切れることなく仕事を続けてきた。
ただし、昇進や昇給の希望はない。踏み絵を踏む必要はないのである。与えられた仕事をそつなくすればいい。
さて、本題。
他の人が保身や将来のためにサービス残業をしている分、私はいくつかしなければならない。とは言っても半分以上は趣味なのだが。2000年代に文筆の仕事を始めたため、ブログも含めて続けている。(金にはならないが)
文章を書くためにはそれなりの知識なり情報なりが必要である。800から1200字の文を書くのに2倍3倍の文字を読む(読書)必要がある。
さらに副業の株の取引、不動産の管理も週に何時間かは使わなければならない。これも大切な収入源である。仕事がなくなっても私を助けてくれる。
さらに家でできる写真撮影、天体観測、工作も間接的に理化学の勉強や実験や講義に役立つ。
2000年代後半にはブラックとは言っても深夜や休日に仕事の電話はさすがになくなったけどね。
音楽や映画や模型などの趣味はお金にはならないが、疲れた心を少しだけ回復させるのに役立つ。さらに仕事と切り離した趣味は、定年で仕事をやめたあとに助けてくれるだろう。
「65歳になってからやりたかったことをやるぞー」とブラック残業で言う人は多いが、実際は10%も達成されない。まずものづくりや運動や運転は年を取って習得しにくい。正確に言えば若い頃のようにすぐに習得できない。4輪のクルマの運転だって大したことない人が若い頃乗っていたからと大きいバイクを買うのだけど、知っている限り3年程度で手放している。欲しかったベンツを買う人もいたが旅行しまくるほどの蓄えも体力もない。結局法事とたまのゴルフに使う程度である。数年後にシエンタかフィットかノートに買い替える。

社会の構成として、お金のため、将来のために与えられた仕事を頑張ることは大切なことだが仕事以外の人生も大切なものなんだ。
例外として70になっても80になっても仕事を続けられる人がいる。資格がある、技術がある、需要がある、健康がある、(人徳がある)、という神に選ばれし者だけどね。私の大学の恩師は90過ぎても論文を書いている。選ばれし者である。