1960年代の地図帳


今日は朝から穏やかな天気。ゴミ屋敷の整理にもってこいである。
押入れの奥にあった段ボール、マジックで「捨てるに捨てられないもの」と書いてある。自分で書いたから知らないはずはない。子供の頃の作文やら絵などが入っている。開けてみると上の方に緑の表紙のボロボロの冊子、小学校地図帳と書いてある。
ちょいと引っ張るとページが外れそうな地図帳を開く。この地図帳の発行は1970年とある。つまり1960年代のデータが入っている。表題にあるように、沖縄返還は1972年だからこのときはまだアメリカの領土である。ちゃんと鹿児島県与論島で国境線がある。
調べると1969年佐藤ニクソンの会談とあるから、この地図編集時はまだ沖縄返還は形になっていなかったのではないか。当時は沖縄島と呼ばれていたのである。


左側は現在のGoogleマップ、右は1960年代後半の東京である。羽田空港が現在の半分以下、現在の第三ターミナルあたりまでしか空港がなかった。さらに747ジャンボが羽田に来るようになるのは1970年から。この時代は50m程度の707やDC8だったから羽田はこれで良かったのかも。
気になるのが湾岸地域、特に台場から浦安にかけてはずいぶん違う。メトロ東西線(当時は営団)が西船まで開通したのが1969年、この地図の編集段階では東西線はない。浦安は交通のない小さな漁師村だったのだろう。浦安市役所通りはカーブが多い。昔の海岸線だったのでは。その東側浦安ICの近くに海楽という地名がある。海を楽しむ。昔は海楽海水浴場だったと聞いたことがある。多分1960年代の海岸線と一致しているか。
江東区墨田区から荒川中川を超えるところから緑色、市街地住宅地ではなくなっている。江戸川区の南側は田んぼか湿地だったのではないか。海岸線に湾岸道路、さらに海側に京葉線、さらに海側に夢の国ができるなんて当時は夢のまた夢。ただし、地図にはしっかり埋め立て予定地の形がある。戦後には早速埋め立て開発の計画があったのだろう。
つづく