今日の月


毎年成人式である。コロナで多少の中止や延期はあるにしても成人になるのは間違いない。
成人おめでとう、というのだけど何がおめでたいのか全くわからない。おめでとーと言っている奴らがおめでたいだけだ。
成人になるというのは昔なら家督を次ぐということだ。正確には次ぐ資格を得るということか。親子から上司部下の関係になるということか。今の時代そんなことはない。20歳はとめどなく子供である。見た目も行動も発言もおとなになったという自覚はまるでない。そんな奴らにおめでとーと言えるのが不思議である。(もちろん昭和の自分の成人も含む)
強いて言えば何をお祝いするかと言えば、親に感謝するという話になる。誕生日も同じである。自動的になるものをおめでとーというのは、理解できない。入試で合格するのが最初のおめでとーになるのだろうか。何の努力もしないできれいで高価なおべべを着ておめでとーと言われて何が楽しいのか。
さらに公費でディズニーやUSJで遊び呆けている20歳に何の良い感情も持てない。苦々しく思うだけだ。
努力もしないでいい思いができることを行政が成人に教えてどうする。まあ、浦安市は努力もしないでTDRの税収を総取りしているわけで。(笑)
せいぜいこのあとの宴会で盛り上がって感染して家族を巻き込んで何日か苦しい思いをしてもらうことにするか。20歳なんてそんなものである。私も。(汗)