「お年玉いくらあげる?」

という記事を見た。
私は原則的にお年玉など甥っ子姪っ子にあげない。幼児の頃は100円玉を掴ませていたが、小学生も高学年になる頃には「おじちゃんはお金ないから」と言い訳。
「おじちゃんはケチだから」と言われていたそうだ。まあ、真実だから文句も言えない。
40過ぎてステージが進んだガンを患った。命の危険を感じた。その頃からか、それまでホイホイでかけていた結婚披露宴の招待状も欠席で返すようになった。自分が結婚するまでに40回前後出席していた。毎年春と秋は大散財、付き合いだから仕方がないと思っていたが。

もう一つ、テレビで見ているとお年玉平均額は高校生で5000、1万円となるそうだ。
おいおい、正気かよ、非正規雇用のわたしが1日働いてもらうような金額を、頭が悪そうな、もらったあとに「チッ、これだけかよ」っていいそうなガキにあげるなんてまっぴらごめんだ。だったら「ケチ」と言われる方がはるかにマシだ。

私の親族は基本的にみんな貧乏だ。
正月に回って歩いても昭和40年代50年代でせいぜい1件1000円とか2000円、新学期にクラスで話しを聞くと私の金額が一番少ない。長野まで遠征して歩きまわってもである。
あとになって思ったことだがオイルショックぐらいまで国鉄初乗り30円の時代、立ち食いそば50円の時代である。この頃日清カップヌードルが発売、1つ100円という金額に驚いた。インスタントラーメン1個で店でそばが2杯食えるわけで。家族4人で1個のカップヌードルを分けて食べた。
そんななかで子供に1000円あげるというのは、それなりに痛みを伴う行為だったわけで。それを知らずに「少ない」と思ってしまった。
そんな経験もあってか、お年玉などあげないほうがいい、と思うようになった。正月には子供に会わない、子供のいる家には行かない。

とは言っても、平成生まれの甥っ子姪っ子としかたなく会うことはある。小学生には1000円、中学生に2000円渡した。その後走って母親のところに行って「ママ、おじちゃんがお年玉くれたよ」「あらー、珍しいこともあるものだね、おじちゃんの機嫌がよほど良かったのかね、ありがとうって言ってきなさい。」私はありがとーと言われてビミョーな気持ちになる。

武蔵野線の駅で20歳くらいになった姪っ子にばったり会う。財布に入っていた5000円くらいの図書カードかクオカードをあげた。あとになって母親から電話があり「具合でも悪いのか」と心配された。