真鍋淑郎ノーベル賞

1980年代に温暖化の定義や計算や予測をした、今の気象変化の礎を築いた功績は大きい。強いて言えばだがノーベル賞の選出が20年遅かったように思えるが。もっと早く認められるべきだった。
さて、私が食いついたのは多くで報道されていることだが「日本じゃできない」ということだ。周囲の人と組織と同調しなければならないのが嫌なんだそうだ。
日本で40代の若手の研究者に新しい研究を自由にやらせる風土がないということか。
日本が教育や研究にお金をケチるのは有名な話。ノーベル賞みたいな世界的な評価がないと研究にお金を出したがらない。もしくはギガスクールみたいに数十万台のPCを買うなどの特定の業者が大儲けする国家的な支出は大好き。アベノミクスのように金持ちが儲かる政策は湯水のようにお金を使うのだけど、先が見えない教育や研究に先行投資するのは大嫌いなようで。
有能な研究者はアメリカにでも行ってもらって実績を作ってノーベル賞でももらったものなら「日本人バンザイ」と手放しで喜ぶのがいい。そもそも彼はアメリカ国籍のアメリカ人なんだけどね。大坂なおみパターンと呼ぶことにしよう。
もう一つ
ギガスクールで思い出したが先週、姪っ子のお友達が(の小さい弟)学校のPCだかタブレットをスルッと落として破壊したそうだ。そのあと誰がどうするのか知らないが。本来は親が弁償するというのが筋なんだけど、そもそもギガスクールとは押し付けられての話。親がPCなどいらないという権利はないらしい。それでは行政が血税で補填すればいいのか。すると大切に使っている人はどんどん古くなるけど乱暴に使っている人は新しいものを使えることになる。これも納得できる話ではない。
さらに機械は使用年限があって卒業すると回収して新入生に使い回すらしい。鼻くそをほじくるくせのある男の子が使っていたキーボードの隙間がホコリだらけ画面が傷だらけのPCを受け取ったかわいい女の子と親の落胆は大きい。
これから全国でこんな不平等の問題が起きるわけで。ただ、PCを導入しろ、授業で使え、リモートで使えとハード面ばかり推し進めたギガスクールは数年で破綻するのである。教育も研究も人間の頭の中でやることというのをまるでわかっちゃいない人たちが偉そうにしている。