頑張れ、野党

どちらかの党首が「5時までは国会の仕事をしてください。総裁選挙は5時以降にやってください」
まっとうな意見である。
ところがマスコミはこういうまっとうな意見や話が嫌いなのである。
自民党のお家騒動の方が楽しいと思っている。人の不幸は蜜の味。どれだけ大変かどれだけ苦しいかがマスコミの求めるもの、ひいては国民が求めるものなのである。
残念ながらコロナ対策は自民党の国会議員がそれほど頑張らなくても省庁の国家公務員や地方の行政が頑張ってやってくれているので総裁選で滞ることはほとんどない。

最近、特に今日のコロナ感染数が随分少なくなっている。どのニュースでも感染者数の棒グラフを掲示して「第○波」と書いているのだけど、そんなことはどうでもいい。知りたいのはなぜ増えたのかなぜ減ったのかである。
最近の感染拡大では7月ぐらいから拡大している。夏休みは7月20日から、五輪はもっと後である。7月上旬から爆発的に増えるためには6月下旬からの何かが原因でなければならない。そのへんの考察を誰もしないまま感染拡大、夏休み、五輪、お盆と感染は全国に広がっていった。デルタ株の広がりとワクチンの広がりが絡み合って原因の特定は難しいのかもしれないが、難しいことを考えるのが専門家ではないのか。みんなが結果論ばかり、医療がどうこうと不安を煽るばかりで科学的な考察がされないまま感染が縮小され「良かった良かった」という感じになっている。
専門家である医師たちもそこらのコメンテーターと変わらないコメントばかり。本質の科学は一部の専門家が考えることで一般市民には関係なくなっている。実際に感染して重症化した人がようやく医療という科学に触れるだけだ。
一つの原因は世界最高峰のスーパーコンピュータをくだらない飛沫の計算に使われたことだ。科学的な考察があの程度だと市民に思わせてしまった。マスクをしたときとしないときで飛沫がどれだけ飛び散るかなんて誰にでも想像できるし、できない奴らはいくら教えてもダメなわけで。
もう一つの原因は、つまらない人権保護の考え。感染した人を非難してはダメとか、ワクチンを打たない人へ差別をしてはダメとか。
おかげで感染した人にどんな落ち度があったのか知らされなくなった。ワクチンを打たずに人混みに行くことを容認するようになった。これでは本末転倒である。感染症は感染ルートの検証が一番大事なわけで。その検証があるから科学的に感染を抑える手段が見いだせる。ハズだった。
それを覆い隠した上で一律で「飲食店が悪い」「無観客がいい」としたものだから世論の支持が得られない。人流を減らすことができずに飲食や観光や医療に打撃を与えるだけ。100年前と同じで自然に終息するのを待っているだけの緊急事態宣言なのである。
100年前はウイルスの存在がまだ確立していない時代である。今の議員や行政はなんだかんだいいながら100年前と同じ考えである。
100年前と違うのは医学の発達で死者が少ないだけなのである。