愛知 常滑 野外音楽フェス

という人体実験。
ヨーロッパでもサッカーの試合などで実験されたとあったがまさか日本で、と驚きのニュースである。まだ、参加者の感染程度は発表されていないが、それなりに多くの検証ができるのではないか。
人の命より重いものはないのだけど、いつの時代でもこういう人たちが実験台にされてきたわけで。主催者はいつものように「感染対策」を口にしているが。彼らの命は軽く感じたに違いない。もちろん間違っているのだけど、戦時下の政府や軍部、70年代から80年代にかけての多くの鉄道事故や航空機事故、そして今回のコロナ禍でも安全や命を軽視するととんでもないことになるという教えを私達は永遠に理解する努力を要する、ということだ。

そのことを踏まえた上で、今日から全国的に学校の2学期が始まった。
アホなマスコミは不安をあおっているのだけど。
以前にここで一番人が密になる学校での感染リスクについて書いた。理論的には3密プラス給食まであるクラスターが起きる環境が揃っている。
にも関わらず、実は学校でのクラスターは起きていない。報道されているのは部活や学童保育や塾。一般的な学校ではない。また、教員の感染事例はあるがそれを中心にしてクラスで感染拡大というのもないのである。
実は学校が一番安全な場所なのかもしれない。
子供にとっての脅威は学校ではなくアホな親がウイルスを持ち帰ることなんだ。子供の感染ルートのぶっちぎりトップは家庭内感染。それをマスコミが面白がって子供同士の感染から親へ感染するなどと科学的な根拠もないまま報道するものだからおかしくなっている。
ニュースでは学校を休ませるとか給食を拒否する親がいると言っている。前回もここで書いたがそういう親が学習が遅れるとか文句をいい人のせいにする。一番安全な学校を否定して、一番学習できる学校に行かせないで、子供のどんな利益があるのだろうか。
もし子どもたちを本気で守りたいのなら、放課後も学校で宿題やスポーツさせて夕食も給食にして午後6時に下校、家では風呂に入って寝るだけにすればいい。非現実的だが科学的である。

もう一つ科学的な話。
学校で感染クラスターが起きにくいことを考察した。塾や学童保育ではクラスターが発生しているのに。
一つは教員の指導、悪く言えば独裁政権、良く言えばダメなことはダメと言えること。マスクを外して喋っていれば「マスクを付けなさい」と注意される。給食時でも喋っていれば怒られる、前後の手洗いや消毒は絶対である。当たり前と思うのはもともとちゃんとしている大人、最初に書いたフェスにしても渋谷をうろつく若者にしても行動はダメだし注意する大人もいないのが実情。
今の政権のようにIOCのご機嫌、業界のご機嫌、選挙民のご機嫌を伺っているだけではコロナ対策にならないことは見て分かる通り。悪い人たちに「ダメだよ」と注意できる体制にしない限り安全安心は得られない。
もう一つ、学校という器。
大学の講義室でも学校の教室でも天井が高いのである。アパートや塾などはせいぜい天井は2.2m、ところが学校では3m以上ある。
これは空気の量で考えれば子供一人あたりの専有する空気量が学校の教室のほうが多い。さらに窓や出入り口の開口部が大きい教室と一般的なマンションや塾の開口部を比べれば換気量についても学校の教室の方が有利だ。つまり同じ距離の密集でも飛沫を浴びる、滞留する頻度は大きな差がある。
アウトドアが基本的に感染リスクは最小になるはずだが、BBQや路上飲みのようにマスクを外して対面で大声で話す笑うを長時間やってしまえば狭い室内と同等ということだ。
もう一つ、
感染リスクの前にBBQや路上飲みのあとを見るとゴミが散乱しているそうだ。感染リスクと社会的なマナーの悪さには相関関係があると思う。さらにそういう人たちはコロナに感染すると被害者意識満々、入院できないとか保健所の対応が悪いとか子供の面倒を誰が見てくれるのかとかひたすら文句を並べるのである。