9月入学取り下げ

検察定年に続いてまたの取り下げである。
最初から必要のない論議に多大な時間と労力とそれに伴う血税を失った。
政府の連中はそういうのが大好きなんだな。
まあ、粛々と公務をこなしていれば何もしないと思われる。
辛いところだ。
これに乗っかるマスコミといいコンビなんだけどね。
そもそも
9月入学にはハードルが高すぎるしハードル数も多すぎる。
付随する法律を90件以上変えなければいけない。
さらに教員の人数もなりなくなる。
変更に伴う費用と教員の人件費など予算も莫大。
さらに現場では新しいカリキュラム、日程を作り直す。
0年生などのシステムの複雑化、それに伴う業務も発生。
教科書や参考書の作り変え、入試日程の見直し。
その上に教員や子どもたちや親たちの混乱がある。
まさかとは思うがコロナショックのこの時期にすべてクリアしようとしたのか。
0年生などの試案を作ったくらいだから本気だったのか。
本気だとすればちょっと頭がおかしいとなる。
まあ、文科省の役人はただの公務員、命令されればやるだけだ。
戦争回避を持論として右翼に狙われた山本五十六
結局上からの命令で真珠湾攻撃の司令官だったわけで。
それをコロナに乗じて9月入学をやろうと言い出した政府の誰かが悪質だな。
さらに
朝のテレビでどこかのコメンテーターは「残念」というから。
こういう教育評論家気取りの人がいるから学校は疲弊するわけで。
中には欧米並みに9月入学するなら欧米並みに飛び級もセットだろう。
というコメント。
そうね、やはり教育改革するなら形ではなくて実質だろうね。
飛び級ができれば公立学校のクラスの質が均一化する。
できる子はいないからね。
実は教員もやりやすくなる。
できる子は早々に大学に行って研究期間が長くなるため
研究成果が出しやすくなるわけで。
普段研究予算をケチっているのにコロナのときだけ補正予算を、
というのはむしがよすぎるよね。
文系の奴らはちょこちょこっと一夜漬けすれば結果が出せると本気で思っている。
今回のコロナ9月入学はまさにその考え方だ。