方向性が違う

先日西武線に乗っていたときのこと。
ある駅で2人か3人の白い杖を持った若い人が乗ってきた。
よくよく見ると杖を持っていない手は誰かの肩に。
ちゃんと介助者が同行していた。
正しい電車の乗り方だし、周囲の人も安心できる。
私は積極的ではないが、動きの不自然な身障者や子連れの母親を見ると
ちょいとだけ乗り降りのときに手を貸してやる。
ものすごい親切心というよりは、電車の定時運行に協力している気持ちも半分。
基本的に感謝されるから悪い気はしないが。
先日の事件
目の不自由な人がホームから落ちて死んだとか怪我をしたとか。
ブロックの設置が悪いとか、ホームドアがないからとか何かとインフラのせいにする。
そんなに身障者に安全な都市など作れるはずもない。
近くの人がほんの一手間手を差しだせば済むことである。
それをすべて設備のせいにしてそれにかけるお金で解決しようとするのは正しいのか。
問題の本質から乖離している気がする。
もう一つ
国会で身障者議員が避難所がバリアフリーではない、と改善を要求。
そもそも災害における避難所はそうでなくても極限の状況で集まった人たちがいる。
停電や断水などが加われば修羅場だ。
そこに車椅子で来て「居心地が悪い」というのは理解できるがいかがなものだろう。
「手を貸してください」と丁寧に頼めば多くの人は介助してくれるのではないか。
それを「私らは身障者だから」とあれを作れあれを改善しろというのは何か違う。
方向性が違うと思うのは私だけだろうか。