ハロウィーンで渋谷に集まる、トラブル

毎度のこととなった渋谷混乱ニュース。
年越し、サッカーなどなど、事あるごとに人が集まる。
面白いのが、大人たちの対応。
○○禁止、にはしないのだ。
それどころか、ホコ天にして擁護する動きである。
人が集まるというのは大きなエネルギーになる。
カルチャーとかポリティカルのエネルギーならそれはそれで評価できる。
が、大人たちは経済的なエネルギーを求めているようだ。
アスファルトの道路でワイワイ騒いでいる人たちにカルチャーは感じない。
烏合の衆からカルチャーは生まれないのだ。
もう一つ
ごみ問題がクローズアップされる。
けしからんには変わりないのだけど、あの大喧騒にしては量は少ない。
道路でウロウロするだけなのでそれほどのゴミは出ないようだ。
お花見や海水浴場の方がはるかにひどい。
明け方にゴミ拾いをして自身の行動を正当化しようとする人がいる。
どうせ掃除するのなら人が多い夜にすれば抑止力にもなるのだけど
ゴミを捨てさせない努力はする気がない。
もう一つ
ゴミ拾いをしている若者のゴミ袋。
その集めたゴミはどうするのか。
結局近くの集積場に投げて帰るのである。
ゴミの山がなくなることはないわけで。
もちろん、騒ぐ若者もそいつらからカネを落としてもらう大人たちも
ゴミの行方まで考えることはない。
もう一つ
迷惑なのである。
なにしに常磐線高崎線に乗って渋谷に来るのか。
人混み以外に何があるのか。
渋谷の住人も警察官も迷惑だと言っているのになぜ来るのか。
家族で、気の合う仲間で、恋人や夫婦で、楽しく過ごせばいいのだけど
最優先で迷惑承知で繁華街に集まって騒ぐのである。
他人の嫌がることを好んでする理由は何なのか。
他人の気持ちや物事の道理や善悪を考える能力が欠如しているのか。
家庭や人間関係で寂しい思いをしてきたのだろうか。
さらに貧困も隠れてあるのかもしれない。
渋谷の喧騒の中を楽しそうに歩いている人を見るとついつい深読みしてしまう。