授業用タブレット問題は必要性と目的がないのでは?

諌山裕氏のブログ記事を読んだ。
多くの人が思い出されるのがミレニアムの頃のしんきろう政権。
例のITという言葉が踊っていた時代である。
それ自体は何ら悪い話ではないし、実際インターネットが一気に普及した。
ところが、問題視されているのが教育へのIT革命だった。
教員の定数を減らしたり、学校で使うわら半紙やコピーの予算まで削っている。
子供一人あたりの教育予算が先進国で最低という日本である。
それが、2002年当時に公立学校全てに高速インターネットという予算が通る。
確かに教室にLANの配線が設置されたけど、それをどう使うか
政治家も官僚もだれにもわかっていなかった。
そもそも、インフラだけを、つまり箱物だけで
肝心のパソコンもソフトも予算はなかった。
今でも公立学校の全教室にLANの端子があって、パソコンをつなげはインターネットが使えるが
実際、ほとんど使われてはいない。
設備投資だけでなく、各学校までの回線設置とその維持、さらにその大元となる
自治体のサーバなど、一部のIT業者への利益供与としか思えない莫大な無駄遣い。
多くの公立学校の教室やトイレの老朽化を考えると納得出来ないんだよね。
という反省点を踏まえて
タブレットを配って教科書やプリントの代わりにしようというのである。
早い話が反省なんてこれっぽっちもしていない。
年度の予算を使い切ることだけが彼らの仕事なんだな。
どれだけ有効に使われたかなんてこれっぽっちも考えていないわけだ。
新しい事業、目新しい事業が彼らの興味関心なのである。
しわ寄せは現場の子供と教師がひっかぶるといういつもの話だな。