給食でアレルギー、2児救急搬送 愛知・刈谷

給食など百害あって一利なし。
やめちまえば良い
そもそも、給食は戦後の食糧難でやせ細った子供のために
GHQが始めたという。
私が最後の世代となったと思われる『脱脂粉乳』もその流れだ。
すでに飽食の時代になり、給食の意義はなくなっている。
それでも、ここまで生きながらえているのは
弁当を作るのが面倒だというものぐさの親たちの需要があるから。
ものぐさというのは言い過ぎかもしれない。
毎日、早朝に弁当を作るというのはそれなりの労働である。
でもね
飽食の時代、親が弁当を作らなくたって方策は何通りもあるだろう。
私の時代と違って給食は美味しいとよく聞く。
だからと、適当な金を払って昼食を丸投げするのはいかがなものか。
ニュースを見ると、給食費を払ってくれと家庭訪問する教員の話
全部食べたか確認をする面倒を強制される教員の話
アレルギーの心配をしなくてはいけない教員の話(本来は親がする心配)
不条理の連続である。
さらに、ウィルスの集団感染、給食など何の意味があるのか。
韓国以外はもう戦後は終わっている。
弁当を作りたくないというのなら、セブン-イレブン吉野家の弁当にすればよい。
変な利権や地元の雇用のための給食などやめちまえ。