はだしのゲン

子供に見せるの見せないのともめているそうだ。
これは幾つもの問題が絡み合っている。
木を見て森を見ず、ではいけない。
まあ、もめている人たちの大半はそういう狭い視野の人たちなのだが。
ポイント1 過激な表現
子供に有害なものを見せないという考えは正しい。
ただし、どこまでが過激でどこまでが有害なのかを決めるのが難しい。
例えばテレビで考えてみると
90年代までは、深夜になればおっぱい解禁だった。
性風俗を取り上げた番組も多かった。
ところがいつの間にかなくなってしまった。
子供と言うよりは風紀が良くないからだという。
ところが、ゴールデンで平気で殺人事件は起きている。
殺人は良いがおっぱいはダメらしい。
同じ事が映画でも言えるわけだし。
ポイント2 文学
はだしのゲンは文学ではないかもしれないが、図書館にあるということで。
夏目漱石は文豪として名高く、その著書は広く推薦図書になっている。
『坊ちゃん』や『吾輩は…』を指してのことだろうが
名作の『こころ』や『それから』など読めば三角関係がこじれる話だ。
太宰治だって、自殺志願の話がいくつもある。
もともと文学とはそういう人間の汚い部分をさらけ出すもの。
その延長線上に殺人事件、すなわち推理小説がある。
不倫や略奪愛、島崎藤村に至っては…、を子供に読ませることは問題ないのか。
ポイント3 戦争の表現
今回のはだしのゲン問題は戦争の表現が良くないという。
もともと戦争が良くない。
戦争は良くないと教えながら何が良くないかを教えないのはおかしい。
戦争が良くないという度合いは、人間として最も良くないことだ。
過激で汚くて日本の罪深いところは全て覆い隠してあの戦争の何を教えるのか。
アメリカと戦ってたくさん殺されたこと、アメリカの爆弾でたくさんの市民が殺されたこと。
被害者の立場で終わりにしようとしている。
それじゃ、朝鮮や中国の反日教育と大差ない。
かと言って、子供に手足がちぎれた死体や真っ黒焦げの死体を見せることがいいのか。
日本人が残酷な殺戮を繰り返したことを見せることが本当にいいのか。
答えのない、悩ましい問題である。