90年代に入ると学校でのコンピューター教育がとりざたされる。
初期は二人に一つの割り当てとか。
MSDOSからベーシックを開いてプログラムを打ち込ませたり。
HDDがない時代なのでフロッピーを配って作業せたり。
コンピューター室にFMタウンズが入ってしまいNECを使ってきた指導教員が苦労したり。
機種選定の時にいた教員がMAC党だったためアップルを導入、
その教員が転勤した後困ったり。
それから20年、どこの学校でも3単位程度の必修であるが
どういう指導がよいのか現場ではいまだに試行錯誤が続いている。
基本的にPCは道具である。
トンカチやドライバーと同じである。
それを買ったからと言って何をどうするわけではない。
釘がなければトンカチの意味はないし、下手がドライバーを使えばねじ穴をなめてしまう。
PCやタッチパッドも同じで単体では意味がない。
ところがお役所で背広を着て偉そうにしている人たちは、PCをブラックボックス
もしくは魔法の箱と思っているようだ。
手に入れれば何かいいことがあるだろう、と本気で考えているのである。
あれは道具である。使用目的がはっきりしない状態では何の意味もない。
たとえば、ANAの乗務員全員に配布された。
これまでは一人一人が機内に持ち込んでいた分厚いマニュアルファイルをタッチパッドにしたのだ。
おかげで離陸重量を軽くできる、マニュアルの検索がスムーズ、
さらにフライトの情報の共有が楽に正確になる。
など、その効果がはっきりしている。
その上、たいしたニュースにもならなかった。
今回の小中への配布は明らかに話題優先、あとは現場の教員に丸投げするだろう。
もし、本当に有効活用するというなら、学校をしばらく休みにして
すべて通信教育で授業をやればいい。
おかげで、学校内でのいじめや体罰、セクハラや服装などの生活指導、掃除指導、給食指導、
がなくなり夢のような教育環境が構築されるだろう。
さらに、機材には強いセキュリティをかけてSNSや通販など一切アクセスをできないようにしておけばよい。