自殺小6「一人給食」訴え

学校教育で個性の尊重、個性を伸ばすと息巻いているが
『個性』の定義は曖昧なままだ。
まず個性を良いものとして話を進めている。
人間なんていいところと悪いところが半々な訳で個性も例外ではない。
自分かってな行動を個性といってはばからない奴もいれば
今回の少女のように友人ができなくて一人で給食を食べるのも個性である。
個性を大切に、というのならこの個性も大切にしなければならないだろう。
学校現場のいろいろな資料には『個々の』という言葉が多く使われているが
その割には集団の一斉授業、クラス単位の生活が大半である。
そのなかで磨かれる、伸ばされる個性には範囲がある。
その範囲を超えたものは叩かれたり直させられたりするわけで。
それは日本の社会規範に基づくものだから間違ってはいない。
求められていない個性は個性として認められないのである。
一部のスポーツ選手や芸術家の中にはこういう集団から抜けだした人も多々いる。
しかしながら彼らが持っているのは強い個性よりも抜きん出た才能や努力である。
だから、友達ができなくて、もしくはいじめにあって悩むのであれば
才能を伸ばすための努力をすべきだという結論になるのだけど。
才能や努力が足りないからいじめられるというパターンが多いのである。
簡単な解決方法など無いからこの問題は深刻なのだ。
一流大をでて晴れてマスコミに入社したエリートにはわからない問題でもある。