押尾学裁判

このところニュース情報番組で押尾学裁判のネタを長々とやっている。
裁判の争点や罪状について弁護士崩れのタレントがわかりやすく説明する。
なるほど、遺棄致死と遺棄ではずいぶん違うらしい。
密室のため証言の積み重ねで追い詰めていく検察。
被害者の親が出てきて「なぜ助けなかったのか」と言及する。
話題の裁判なのだがなぜかそんなに興味が湧かない。
ポイントを整理してみた。
その一
芸能人裁判。
本来ならそれだけでもっと興味を持ってもいいのだが私はもともと押尾学を知らない。
だれ?
知っていたのは私の好きな(好きだった)女優さんと結婚したことぐらいかな。
もともと三流芸能人の事件である。
その二
事件そのものがオバカ。
事件は薬中の不良大人が三谷幸喜の演劇よろしくホテルの一室でどたばた劇をしただけ。
被害者と称される女性も無理矢理どうこうされたわけでなく男と薬におぼれて死んだのが死因だ。
この事件に実質的な被害者がいないのである。
その三
被害者の親
私はここで何度となく書いたことなのだが、死んだ女の親が『被害者の親でござい』とばかりに
露出して無念を訴えている。
押尾学に「なぜ助けなかったのか」と連呼するのだが、私はこの親に同じことを言いたい。
中高生の時にもっと勉強させればよかったのではないか。
それとも運動にがんばらせてもよかったのではないか。
水商売に向かうときかたぎの仕事を薦めればよかったのではないか。
水商売だって立派な職業ではあるが女性にはそれなりのリスクがある。
この女はそのリスクにはまったわけで向いていなかった。
押尾学のような変な男と付き合うことをやめるように諭すべきだったのではないか。
薬物に手をつけることを阻止すべきだったのではないか。
この親はこれら全ての親としての仕事をしていなかった。その結果の事件ではないのか。
押尾学を責める資格があるように思えないのは実情をしらない私だけか。