F15 車輪トラブルで胴体着陸


このところF15のトラブルのニュースがつづく。
昨年1月には、百里基地のF15の水平尾翼の一部が落下、
昨年9月11日には、築城基地のF15が日本海に墜落する事故、
11月に築城基地で尾翼一部の脱落、
エンジンの一部が脱落。
いろいろな方のコメントにもある話だが分析してみた。
1.機体の老朽化
パッと見は非常に美しい機体ではあるが基本は1970年代の機体である。
日本の導入からも30年になろうとしている。
本来、自衛隊機は民間機に比べると飛行時間飛行頻度が小さいため
その分長く使われることが多い。
我が家の近くでもYSが元気に飛んでいる。
ところがF15に限って言えば訓練としての頻度が高い上運動性能が良いため
同じ時間であっても飛行距離など圧倒的に大きくなる。
つまり機体にかかってきた負担は民間機並みなのかもしれない。
2.予算削減
例外にもれず自衛隊も予算を削られている。
人件費には手をつけないのですべて本来の防衛予算が減る。
自衛官(元?)に話を聞くと、部品調達もままならないことが多く
部品そのものを旋盤で制作したりと修理も職人技が求められる、そうだ。
120億円の超音速機を手作りのパーツで修理とはそれなりの限界を感じる。
3.陰謀説
F15の老朽化に伴ない次期主力戦闘機の選定が進んでいる。
ところがF15そのものの性能は今となっても抜群に良いもので
いろいろな意味で話が進みにくい状況。
そこで人為的な力が働いて故障、事故が続いたとも勘ぐりたくなる。
4.工作員
自衛隊内部に北朝鮮、中国の工作員が潜入して事故や不祥事を
誘発させているとも考えられる。
「24」の見すぎかな。
最後に
F15は優秀な機体である。
一連の事故で墜落、死傷はまぬがれた。
wikによると、1983年に防衛任務の演習中にA-4とF-15Bが空中接触し、
ほぼ片翼を失ったF-15が15キロメートル離れた基地への着陸に成功した。
その時のパイロット、ネヴィーディ大尉は着陸後に自分の機体を見るまで片翼で飛行していた事実を知らなかった。
日中戦争における九六式艦上戦闘機のパイロット樫村寛一など、
片翼を失った機体が生還した例は特に珍しいものではないが、
過去のそうした例は操縦士の技量によるものであり、操縦士が片翼を失ったことを
知らずに継続飛行していたというのは、本機の高い生存性を示すものといえる。
180620