ルマン24、1989年


部屋を掃除していたら出てきたシリーズ。
今日は1989ルマン24というビデオソフト。
1989年最近よく目にする年号だ。平成1年である。
昭和天皇崩御からこの一年は始まった。
株価は2万円を超え、3万円を超えるという時代。
世の中は好景気に沸いていた。
日本の自動車メーカーはスポンサーとつるんで世界中のモータースポーツに参戦。
F1はホンダがエンジン供給。セナプロ対決が盛り上がった頃。
ホンダは1.5リッターターボエンジンで1000馬力を絞り出す。
ヤマハやスバルまでエンジンを作っていた。
ところがその裏で人気があったのが耐久レースのグループCカーだった。
F1よりパワーがあるエンジンに空力に優れたクローズドボディは直線で400km/h。
特に耐久性は日本メーカーのお家芸。
トヨタ、日産、マツダがしのぎを削っていた。
この頃は最高速のプジョーが人気。このビデオの前年くらいに406km/hが公式記録。
力をつけてきたシルクカットジャガー、老舗のポルシェ軍団。
そしてこの年のトピックが1955年ルマンで起きた大事故以来の出場のメルセデス
1955年ルマンピット前で進路変更をしたクルマをよけて多重衝突が発生。
メルセデスが壁に激しく衝突して分解してしまいパーツやエンジンが観客席に飛び込んだ。
死者84人の大惨事となった。
以来、メルセデスモータースポーツから撤退。ルマン出場はこの年が34年ぶりだった。
結局、ザウバーメルセデスはこの年優勝してしまう。
他のマシンと違って重低音のエキゾーストがしびれる。
また、シルバーアローと名付けられたスポンサーステッカー無しの銀色の車体が渋い。
この年はマツダのロータリー、チャージマツダが3台完走している。
星野や高橋国の懐かしい顔も見られた。
ルマンの華、約6kmという超ロングストレート「ユノディエール」はこの年が最後。
90年からは二カ所のシケインが設置され400km/hのバトルはこの年が見納め。
残念なのはこのビデオのクオリティが低すぎ。
撮影ポイントが数カ所しかなくカメラアングルが単調。60分は妥当な長さだった。