香川県立中央病院受精卵取り違えの報道

マスコミは基本的にミスの原因と責任を問うている。
古館(テレ朝Nステ)は命の云々とまで言い切っている。
それを真摯に考えてきたのは当人の川田医師ではないのか。
少なくとも古館ではない。
古館は禁断のセリフ「命とは本来授かり物である。」と言ってしまった。
私はこの問題の本質はそこにあると考えている。
身体上の理由で子供ができないという話はよくきく。
これははるか昔から言われてきた問題。
一昔前は子供ができないからと離縁させられるなんてよくある話だった。
かく言う私ら夫婦もこの問題に直面していた。
妻はこういった不妊治療をしたいとずっと言っていた。
私個人は自然の摂理を優先したいと考えていた。
夫婦に子供ができることは自然なことだ。
それと同じようにできない夫婦がいることも自然なことなのだ。
これは運命でもある。
たとえ夫婦どちらも健康体であってもできないことだってある。
それも自然なことである。
それを無理矢理シャーレや試験管で子供を作るというのは自然ではない。
子供がどうしても欲しいからとお金と技術でつくる(買う)というのは
気持ちは十分わかるのだけど、不自然である。
それでも欲しいというのだからそれなりのリスクを背負うのは仕方がない。
今回の事件はある意味、不妊治療を考える良い例だと思った。
ミスをした川田医師をつるし上げるのは簡単だが、だからどうする??
人間のやること、どうしてもミスの危険はつきまとう。
その度につるし上げて損害賠償するのか。
不妊治療などするものではないということになる。
そしてすぐに訴えられるリスクが大きい産科医師のなり手が減る。
引き替えに妊婦が安産できる確率が下がり
障害を持った赤ちゃんや未熟児の生き残る確率もさがり
これから出産しようという夫婦には心配なことになる。
こうしてまた産婦人科医療は後退していく。
これは自然なことなのだろうか。