どうってこと無い田舎町です。
一昔前は、信越線特急あさまが停車する小海線との
交通の要所。
さらに昔は文豪「島崎藤村」が教員として住み
「破壊」の執筆をした文化の町。
さらにその前は情緒のある城下町であり
信濃追分から中山道と分岐した北国街道の宿場町。
ところが一部住民の都会へのあこがれのためと思われる
中途半端な開発、それにともない古い町並みの破壊。
箱物観光文化施設の整備。と、バブル期特有の
節操のない開発が逆に町を寂れさせていきました。
観光客は田舎町に来て都会の雰囲気は必要なかったのです。
隣の東部町(現東御市)の北国街道宿場「海野宿」は
そこそこの名所として認知されています。
小諸市にはない。
あわてて最近になって多少残っている町並みを保存する動きがあります。
写真はその一部です。
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私の祖父母もこの町の江戸時代の町屋に住んでいました。
バブル期に取り壊されましたが。
子供の頃、独特な土壁と材木の曲線が残る柱の建物、
隣の家と土壁一枚、家の中は細長く(ウナギの寝床)暗い、
居間の天井に明かり取りの天窓がありました。
道路に面した二階の部屋は窓が小さい上、格子がびっしり。
これは武士や殿様を上から見下ろさないという意味があったとか。