引退宣言はどこへ…小室哲哉

引退宣言したはずの小室哲哉が復活するそうである。
けしからん、とか、冷ややか、とかそういう論調なんだけど。
今の世の中失敗を許さないという風潮が強い。
他人を傷つけたり殺したりするのは流石に許されない。にしても全員が死刑、無期懲役というわけではない。生きている以上いつかは許されてしまうのだ。
さらに世間では許された人も許さないらしい。仕事につけない、嫌がらせを受ける。因果応報といえばそれまでなのだが、逆にそれを許してしまえば彼らは血税を使って生保で生きていくことになり、それはそれで許せない。
さて、話は戻るが、芸能界完全追放みたいな感じの不倫騒動、うだうだ言う人に言いたい「あなたはどれだけ傷つきましたか」
一部のマスコミは一般の人達の感情をあおっているだけで、よくよく考えれば文句をいう人の99%以上は実害はない。余計なお世話なのである。(多くの有識者が言っていることだが)
もう一つ
小室の復活に文句を言う人達は何に対しての文句なのだろうか。彼らは芸術家、才能を売って生きている。才能は他の人の生活や感情とは何も関係ない。追放とか言っている人の考え方の根底には会社員公務員がある。つまり会社をクビになる、ということが制裁なんだろうね。会社がなくなれば次の日から食うに困るわけで。だから会社をクビにならないように生きている、という本質がある。
ところが能力がある会社員公務員は辞めてもすぐに次の会社が見つかる、転職して給料も上がる。会社をクビになっても能力はなくならない。同じように小室哲哉の才能も脳が死なない限りなくならないのである。その才能を買わない人がどうこう言う筋合いはない。嫌なら買わなければいいだけの話だ。
ネットでも社会でも見知らぬ他人に嫌がらせを言ったり書いたりするのは能力や才能がない貧困の人ということになる。一部の週刊誌のようにそういう嫌がらせを生業にしている会社や人もいるが。

世良公則が矢野事務次官の“バラマキ批判”を疑問視

反対の反対は賛成なのだ、という昔の漫画の文句を思い出した。
財政が逼迫しているのにさらなるバラマキの財政出動は必要なのか、というごくごく当たり前の提言なのだが批判が相次いでいる。
昨日もここで書いたことだが、コロナによる多額の財政出動だったのだけど、実は税収も上がっているというのが肝だね。つまり財政出動は結局プラスになるという前例を作ってしまった。さらにぽんと10万円もらうとありがたいと選挙で一票という人が多いということなのか。
まあどちらかと言えば財務省側が正論、ばらまいて経済をと言う方がちょっと?という感じだな。
もう一つ、
これも何度もここで書いていることだが、格差のない社会という理想論、働かざる者食うべからずという論理の逆である。一種の共産主義ではないかね。みんな平等、みんなが中くらいの生活というのはとても危険な発想である。大戦前後のソビエト共産主義で経済成長したとあるが、いにそぐわない人たち数百万人を粛清したとある。みんなというのは全員ではないということだ。
今の中国も共産主義でスタートしたが、毛沢東後期ではやはり粛清が行われた。今の中国の発展は自由経済を取り入れて経済成長を促進し格差を大きくしたところにある。
もう一つ
格差を跳ね返すのを原動力として成功した人は多い。金持ちになりたいという夢は自由経済では大切なことだ。どんなに頑張っても頑張っていない人たちや障害がある人と同じ収入ではモチベーションが保てない。
月曜日のドラマのラジエーションハウス、今日のニュースで12歳のスケートのまおちゃん、どちらも小学生から夢を追いかけているとあるが、果たして6歳や8歳の子供が陸上競技やスケートでトップになろうなどという夢を見られるものか。ドラマでは子供の夢ではなくて親の夢だという話、多分リアルのスケートのまおちゃんも似たようなものだろう。
たとえ五輪でメダルを取れたとしてもその栄光でお金をもらえるのはほんの数人という世界だ。残りの99%の選手たちは6歳の頃からの夢と努力も虚しく生きていると思われる。この格差があるからこその競技であり努力なのである。格差がなければ何も残らない。
頼むから格差のない社会などと中身のないことを責任のある人が言わないでくれ。

グライダー墜落

グライダー墜落し、男性2人死亡…離陸直後にエンジン停止か、目撃した人「1分後、きりもみ状態で落下」 北海道美瑛
というヤフーニュース。
疑問をいくつか
グライダーの定義は何なのか。グライダーは動力を持たずに滑空する乗り物だと思っていた。エンジン停止というのはグライダーではなく軽飛行機になるのでは。軽飛行機とグライダーが同じ意味ならごめんなさい。記事にはエンジン付きグライダーとあるが。
次にグライダーの定義は滑空することだと思っていた。エンジンが止まったとしても飛行機はとりあえず滑空できる。ましてグライダーとなれば滑空の能力はジェット機やプロペラ機より上だ。エンジン停止ですぐに墜落とは考えにくい。
次に1分後とある。読むと離陸後1分、高度は100mとか200mというところだろう。きりもみするためには主翼の揚力が完全に失われる必要がある。エンジン停止して驚いたパイロットは落ちないように機体を上に向けて失速したか。
左に曲がりきりもみになったと証言がある。慌てて操縦桿を思いっきり倒して失速したか。
もしくは離陸後すぐに主翼が破損したか。
とにかくエンジンが止まる、と、グライダーがきりもみで墜落は結びつかない。早く原因が知りたい。私の推理はどうだろうか。

しつこく今日の月


今日の月の出は午前11時過ぎ、昼休みに職場から東の空の月見をした。
今日は日差しが強く郊外では28度くらいに。そんな中青空からこの月を見つけた。近くに子どもたちがいて一緒にこの月を楽しんだ。昼休みに上弦手前の月を楽しむというのは多分その後の長い人生でないだろうね。
明日は雨の予報、週間予報も関東地方はずっと悪いそうで。当分お月見はできそうもない。

もう一つ
コロナ病床確保の病院、補助金で黒字
というヤフーニュース。
コロナ病床1つ、ICU1つに1日どれだけの補助金が出るのか。
医療関係者の嫁さんからその話を聞いて驚いたのである。患者の有無に関わらず毎日出るのだそうで。それも全部血税なんだよね。コロナに感染発病する人の多くは個人責任、本人や家族がかかった金額を支払うべきだと考える。もちろん基本的な保険は適用でいい。余分に費用がかかればその3割は支払うべきなんだけど、それとはまた違うお金らしい。
似たようなネタを情報番組で見た。コロナ休業をせまられた飲食店の多くが黒字だというのだ。保証金から家賃など差し引いても食べていけるだけのお金が残るのだそうだ。
以前にもここで書いたことだが、前年度の税収は過去最高だと言う。コロナで困っている人がこれだけいるのに税収は増えているというのだ。すなわち、コロナで困っている人の多くがもともと税金をそんなに払っていないということ。我々サラリーマンは会社の収入が減れば手取りが減る上にガッツリ税金は取られているわけで。小規模飲食店との差は明らかだ。とは言っても小規模飲食店はコロナ禍が終わればまたそれほど高収入でもない生活に戻るわけで。一概にずるいとは言い切れないけどね。
私は何十年も正規非正規雇用で働き続けてきた。働いていない人が収入を得るという社会構造に猛烈に違和感を覚えていたわけだが、年をとってそろそろ仕事のゴールが見えてくると、苦労して働くことの大切さを感じるようになった。補助金生活保護で働かずにブラブラしている人たちは働く苦労がないのは羨ましいが決して幸せではない。
血税を貪り食う人たちはできるだけ不幸な生活をしてほしい。子供や学生のときは学校に行きたくなくても渋渋学校に行って仕方なく勉強して、それなりに頑張って進学して、それなりに我慢して仕事を続けてほしい。そこまで頑張っての生保や補助金ならいつか道も拓けるというものだ。幸福はそんなに手前になくて簡単に手に入らないことをいい年してから知った私である。

今日の月


ちょっと暑い1日だった。


蕨の変電所火災で東京近辺のJRが止まったそうだ。
京浜東北線など大宮に乗り入れる路線は今も止まっているとのこと。
つい先日関東地震で電車が止まって騒いだばかりだが、二度あることは三度あるということだ。
電車での移動は高速で時刻通りで大変便利なものだがいざとなると客のダメージが大きい。都市に住む人達にはしかたがないことだが。
と言っている間に空は暗くなり月が西の空低く明るく光っていた。

真鍋淑郎ノーベル賞

1980年代に温暖化の定義や計算や予測をした、今の気象変化の礎を築いた功績は大きい。強いて言えばだがノーベル賞の選出が20年遅かったように思えるが。もっと早く認められるべきだった。
さて、私が食いついたのは多くで報道されていることだが「日本じゃできない」ということだ。周囲の人と組織と同調しなければならないのが嫌なんだそうだ。
日本で40代の若手の研究者に新しい研究を自由にやらせる風土がないということか。
日本が教育や研究にお金をケチるのは有名な話。ノーベル賞みたいな世界的な評価がないと研究にお金を出したがらない。もしくはギガスクールみたいに数十万台のPCを買うなどの特定の業者が大儲けする国家的な支出は大好き。アベノミクスのように金持ちが儲かる政策は湯水のようにお金を使うのだけど、先が見えない教育や研究に先行投資するのは大嫌いなようで。
有能な研究者はアメリカにでも行ってもらって実績を作ってノーベル賞でももらったものなら「日本人バンザイ」と手放しで喜ぶのがいい。そもそも彼はアメリカ国籍のアメリカ人なんだけどね。大坂なおみパターンと呼ぶことにしよう。
もう一つ
ギガスクールで思い出したが先週、姪っ子のお友達が(の小さい弟)学校のPCだかタブレットをスルッと落として破壊したそうだ。そのあと誰がどうするのか知らないが。本来は親が弁償するというのが筋なんだけど、そもそもギガスクールとは押し付けられての話。親がPCなどいらないという権利はないらしい。それでは行政が血税で補填すればいいのか。すると大切に使っている人はどんどん古くなるけど乱暴に使っている人は新しいものを使えることになる。これも納得できる話ではない。
さらに機械は使用年限があって卒業すると回収して新入生に使い回すらしい。鼻くそをほじくるくせのある男の子が使っていたキーボードの隙間がホコリだらけ画面が傷だらけのPCを受け取ったかわいい女の子と親の落胆は大きい。
これから全国でこんな不平等の問題が起きるわけで。ただ、PCを導入しろ、授業で使え、リモートで使えとハード面ばかり推し進めたギガスクールは数年で破綻するのである。教育も研究も人間の頭の中でやることというのをまるでわかっちゃいない人たちが偉そうにしている。

水道管

和歌山で水道管がいきなり橋から落ちた、というニュース。
そして先日の関東地震で各所で水道管が切れた。
3日間使えなくて困るライフラインは電気より水道ではないか。
電気は便利や金儲けには絶対必用だが水道は清潔に多く使うわけで。トイレで水が流せない、手を洗えない、うがいできないというのは生きるのに困る。
あちこちで水道管の老朽化が話題になっているが、いよいよ目の前の現実になりつつある。

もう一つ
地震で脱輪 舎人ライナー
先日の関東地震で東京城東部からさいたまにかけて震度5強を記録した。
私の住む行政でも震度5弱と発表されたが我が家では4程度の揺れ方だった。これは3.11の被害と比較すれば明らかだ。
震度の計測は一昔は目視、今は加速度計などを用いるそうだが地域による地盤によってもそれぞれの地震で揺れ方は違うのだろう。
基本的に鉄道は地震に強い交通である。新潟地震では上越新幹線脱線事故が話題になった。
それでも被害は限定的、沢山の人が悲しむようなことにはならなかった。
震度5程度で破壊的な被害は出ないだろうとの予測だが舎人ライナーは違った。
脱線事故とは言っても新交通システム、多分ゴムタイヤの車両、それなのにニュース映像をみて驚いた。
なんと高架橋から大型クレーンで釣り上げて地面におろしたのである。
車体は小さいしそれほど重くない、ジャッキアップしてレールに戻して引きずっていくと思っていた。
たとえ車軸を壊したとしても、ジャッキアップして簡易台車に乗っけて引きずっていくと思っていた。
それがあの大騒ぎで何日も運休というのはいかがなものか。
地震にそんなに弱い新交通システムなどいらないのである。
今の高架橋に線路を敷いて富山や広島で使っている路面電車を走らせたらどうだろうか。そもそもすぐ近くを都電も走っているし。
もしくは一昨年三重県で見学した800mmゲージの軽便鉄道という手もある。
こういうときはシンプルでアナログな機械のほうがいいのである。「新○○」みたいなものはこういう人たちには向いていない。

知床ウトロ地区

BSで士幌線廃線跡という番組を見た。糠平湖などが出てきてちょっと懐かしかった。
ここからはおじさんの思い出話、聞く方は何も面白くない。スルーしてください。
昭和もあと数年という時代だった。18歳で免許をとってどうしても行きたかったのが北海道である。
本来ならバイクで、と行きたいところだったがそこまでの根性もない。
父親の360ccの軽自動車を借りて、今のゲートブリッジ近くにあった東京フェリー埠頭から北海道に海路で向かった。自動車での旅行はすべてを自動車で完結するため、炊事道具寝具即席麺水タンク鍋など車中泊で何日でも、という構えだった。
苫小牧からえりも、帯広、糠平湖、大雪、北見、阿寒、屈斜路、摩周湖根室、野付と走って5日目午後にウトロに到着、慣れない車中泊の連続でフラフラの状況だった。
当時は士幌から北見にかけて国道は砂利道だった。360の軽自動車、それも免許取り立てでは大変な道中だった。
知床も砂利道が多く車はホコリだらけ、人間も屈斜路湖近くで銭湯に入ったものの薄汚い状況だった。

ウトロの中心部、国道の駐車場に車を置いて港に向かって歩きはじめる。

当時はもっと狭い道のように感じたが、右側に木彫りの熊のお店が何件か。フラフラ歩いているとその店の中から「お兄さん、ちょっとよっていきなよ」と声をかけられる。数千円数万円する木彫りの熊など私には縁も興味もない。「お金ないんで」と断ると「いいから休んでいきなよ、お茶を入れるから」と、店の中を見るといかにも北海道というヒゲモジャの30か40のおっさんだった。
店の入口近くのテーブルで休ませてもらう、お茶も頂いた。「なんだか死にそうな感じで歩いていたから」と素性を聞かれた。「実は」と「単独で車中泊の旅をしているのだけど船も入れると6泊であちこち痛い」と説明した。相手「ホー」と聞いてくれた。
「○○ちゃん、この人をオロンコ岩に案内してあげてよ」と言うと奥から20歳前後の女性が。ここで夏休みだけアルバイトをしているそうだ。写真の左前にある大きな岩山の上までかわいい女子と歩くことに。まだ夕日にはちょっと早かったが雄大なけしきだった、と記憶している。
お店に帰って「本当にありがとうございました」と深々と頭を下げるとヒゲモジャは「君、今日泊まるところはあるのか」と聞くので「この先の国道の駐車場で野宿します」と答えると「うちの宿舎を使わせてあげるよ、布団も貸すし平らなところで寝られるぞ」「お金がないので」「バカだなあ、話を聞いている、お金なんていらないよ」「いいんですか?!」というわけで泊めてもらうことに決定。宿舎は西寄りの海岸近くにあるそう、地図を書いてもらった。「鍵は」ときくと「鍵なんてかかっていないよ」と笑われた。
お言葉に甘えて宿舎へ。空き地に車を駐めて宿舎に入る。平屋のほったて小屋。入口近くに広間があって奥には二段ベッドが並んでいた。従業員の寝床だろう。
近くの海岸で夕日を見て、持参の自炊キットでラーメンを食べて指定された布団を借りて広間の隅で就寝。寝ているときに何人かの足音が枕元を通る。「この人が店長が拾ったフーテンの若者か?!」などの声を夢の中で聞いたような。
野宿生活の朝は早い。特に北海道の東部は3時には明るくなって4時には日が昇る。
4時に起きると奥のベッドから寝息が聞こえる。布団を畳んで簡単な礼状を乗せて宿舎を出た。
車に乗り込む前にほったて小屋に最敬礼をして網走稚内に向けて出発したのだった。
40年も前の話、さらに一度きりの一期一会ではあるが、今でも鮮明に覚えている思い出である。

そしてこのときの経験や感動がこの後の私の人生に与えた影響は大きい。後輩や教え子に親身に接することを実行した。今でも何十年も前の後輩や教え子と古い友人のようにしている。

昨夜の関東地震

関東で震度5というのは3.11以来、10年ぶりである。
そして、デジャヴのように帰りの通勤客を直撃した。
救いは夜遅かったこと、多くの勤め人は帰宅していた。
さらに、以前にここで書いたことだが、1のつく年、月、日は気をつけるべき。
月日に1はつかなかったが2021年に大きな地震が起きたわけだ。
命に関わる被害がなくて良かった。

実は予震が数時間前、7日17時ごろ茨城県南部と22時と近い震央の地震が起きていた。
震央は近いが震源は深さが40kmと80kmで差がある。
17時の地震はドンとショックが来てゆれはすぐに収まった弱い地震
ドンと来たのでほぼ関東直下であることは想像できた。
が、深さが40kmとあったので直下であるがプレート境界型に近い。
その数時間後にやはりドンと来たあと大きく揺れる地震だった。
直下だが80kmと深かった。それでも100km未満ならプレート境界型と言っていいだろう。
3.11の断層破壊は茨城県沖で止まっている。その南側では大きな破壊が起きる可能性が残っているわけで。
用心に越したことはない。

二日月


週末になった。
今週は暑さもあってかなり疲れた。地震があった昨日は早退していた。
歳を取ると10月の夏日はまともに身体にこたえるのである。
ようやく月を見ることができた。日没後一時間ほどの月見である。

もう一つ
朝は気づかなかったが昨夜の地震の被害、我が家もあった。
コレクションの棚からトミカサンダーバードシリーズが落ちる倒れるしていた。
トミカサンダーバードはメタルの本体に対して貧弱なスタンド、とにかく地震に弱いのである。
そもそもトミカは自動車である。空を飛ぶものを考えて作ってはいないようで。トミカのいいところは子供向けで多少のショックでぶっ壊れることがない。(笑)