2018年6月21日説とブロック塀

15日 静岡 震度3
16日 千葉 震度4
17日 群馬 震度5弱
18日 大阪 震度6弱
ネットを見ていると6月21日の書き込みをよく目にする。
占いだか予言だかで大震災が起きるとの話だそうだ。
こうして並べてみるとまんざらでもない。
3.11でも数日前に同じプレートでそこそこ大きな地震があった。
大震災の予兆でなければよいが。
地震直後のこのブログで被害は最小限で、と書いたが
あとから死者が報告されている。残念である。
建物倒壊などどうしようもない原因ならあきらめもつくが
ブロック塀の下敷きというのはなんとも。
ブロック塀といえば昭和50年代の仙台地震がある。(正式名称は忘れた)
このときに強度のないブロック塀はダメだ、と散々言われて40年以上。
中途半端な金持ちのブロック塀がタチが悪いようだ。
もう一つ
なんと小学校のブロック塀が倒れて小学生が死亡というあってはならない事故。
さらに子供に落ち度はない。
学校が生徒を殺してはいけないのである。
私の周囲の小中高校の校舎のほとんどがひし形の耐震工事をしている。
もともと校舎はそれなりに強く作られていて震度7クラスの大地震は無理にしても
6クラスには耐えられる場合がほとんど。
実際、震度7、6強クラスの地震など記録では数回しか起きていない。
それも大きく揺れる地域は限定的だ。
そんな隕石にぶつかる心配のような耐震工事に教育予算の多くをつぎ込んで
学校の設備や教員の待遇は最低限のままだ。
そんな中で生徒だけがよく伸びるわけもないだろうに。
それでも耐震工事は命を守るため、という大義があったわけだが
木を見て森を見ず
金のかかる、土建屋の儲けが出る箱物ばかりに気を取られての耐震工事。
ところが、今回の大阪の小学校では安価なブロック塀が子供の命を奪ったわけで。
保身と既得権益に夢中な役人に子どもたちを守ることはできないという証明だな。