いつの間にかハロウィンは日本に定着したそうだ。
よく見るニュースネタだが経済効果がバレンタインデーを抜いたとか。
ハロウィンのアドバンテージは形があるということだな。
バレンタインデーは基本的に形がない。
日本人に限らないだろうが、形があればそれを買うことができるわけで。
最初はかぼちゃのアイテムだったのだが、今となっては…である。
私も最初はバカにしていたが、最近はこの時期にかぼちゃなどを飾って
秋の収穫を感じるというのに同意している。
しかしである。
本来のハロウィンの趣旨は違うわけで。
そもそもが子供のお祭りである。
安いお菓子をもらっておしまいである。
ところが日本のハロウィン騒ぎは尋常ではない。
と、言いたいところだが、こういうのを言うことがマスコミに踊らされている。
我が家の近隣の駅の近くで仮装をした若者などいない。
せいぜい、駅近のスーパーがハロウィンの飾りをしている程度だ。
ハロウィンと騒いでいるのは渋谷などの一部の繁華街とマスコミだけ。
少なくとも我が家の近所は静かなものである。
先にも書いたようにマスコミが騒ぐのは基本的に金儲けの片棒をかつぐ時。
その象徴として渋谷の騒ぎを取り上げてる。
それに乗っかって心寂しい田舎者の若者が埼京線や常磐線で渋谷に向かうわけで。
ああやって仮装をして大声を出していないと寂しさに潰されてしまうのだろうな。
それも大騒ぎとは言ってもたかだか数千人規模。
渋谷はその名のごとく谷あいの街。
代々木からは公園通り沿いに坂道。
246沿いに青山方面から坂道、反対側は道玄坂。
さらに、駅の東側のバス停や昔の文化会館側は人が集まる場所もなく。
ガードより西側、ほんの一部の場所が騒乱の舞台となる。
狭い場所に肩寄せあっているからこそ、安心するんだろうね。
住宅メーカーのCMの「僕は狭い場所が好きだ」というのに似ている。
渋谷に行けば何か楽しいことがある、と田舎の若者は信じているのだろう。
ドラマひよっこの時代の集団就職のように東京に夢があるのだろう。
いつの時代も東京は若者の憧れなんだなあ。
私は幼少期を渋谷の近くで過ごしたためか、そういう思い入れがない。
渋谷に行くと言えば文化会館の五島プラネタリウムだったな。
懐かしい写真を拾った。