雨の日と月曜日は


昔のカーペンターズの名曲だ。
そうでなくても月曜日は憂鬱なのに、雨が降っていてはさらに憂鬱だ。
というような感じだな。
朝の出勤時も帰りの帰宅時もかなり強めの雨が。
今日は外回りの仕事があって、ずぶ濡れで歩いていた。
もう一つ
昨日は朝の関東の地震に続いて、夜は熊本でも地震があった。
どちらも被害はなかったそうだけど。
先日のNHKのヒストリアで熊本の地震が取り上げられていた。
戦乱でも熊本城は被害に遭ったそうだが、元禄でも地震被害があったという。
やっぱり100年以上の周期で地震があったということだ。
いつもここで書くことだが
「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田先生の名言のごとく
一人の人の人生では一度あるかないか。
生きている人の全員が経験しない周期で地震があるわけだ。
数十年は気をつけようというのだけど、誰も言わなくなった頃に地震は起きる。
記録には残っても記憶に残らなくなるところがポイントだな。
したがって、同じような災害なのだけど初めてのような感覚になるわけで。
先日、どこかの研究機関が30年以内に地震が起きる確率を発表した。
これもいつも書いていることなんだけど、30年でビミョーだよね。
発表している白髪頭の人たちの大半は30年後にはこの世にいない。
責任を取る気はさらさらない。
さらに、確率が40%でも50%でも70%でも実は何の影響も確証もない。
地震が起きれば「ほらね」といえるし、起きなければ「起きない確率が」と逃げられる。
さらに30年後に「30年前に70%と予想していました」なんていう奴もいないだろうし。
確率という時点でアリバイ作り、逃げているということだ。
2018年に東海地方で地震が起きるだろう、というべきだよね。
少なくとも、あの人達はそれで高額の給料をもらっているのだから。
外れたら、首をとばせ。
それじゃあ、研究者はいなくなるというかも知れないが
みんな薄々わかっているように今の科学で地震予知は不可能なんだね。
地震研究は大学の研究機関が行うことで、公務員や役人が行うことはない。
役人はほかにやることあるだろう。
「今後も余震が起きるだろう」などと小学生でも言えることをどうどうと言っている。