平等と人権

前回の私のブログで『平等を勘違いしている』という内容を書いたところ
コメントをいただいた。
その中で『機会の平等と結果の平等は違う』という文言、素晴らしい。
私は今ひとつボキャブラリー不足で理路整然とした表現ができていないのが悔しい。
『平等を勘違いしている』『履き違えている』では
平等を否定しているようにも取られてしまう。
『機会の平等と結果の平等は違う』なら平等の勘違いを的確に表現している。
私は良い読者を持っていると改めて感じた次第。
人権を振り回して生きている人達がいる。
立派な商売になるようである。
でもね、人権は健全な社会生活がバックボーンになっていなければならない。
街で薬物を売っている奴らやお店で店員に絡んでいる奴らや
学校で弱そうな生徒をいじめている奴らに人権は満額は存在しない。
逮捕勾留されれば、自由はなくなるわけで。
たからといって、犯罪者をネットで顔や住所を出してみんなで叩いていいわけではないが。
駅前の歩道に毎日自転車を置いている奴や爆音を出しているバイクや
学校で暴れる生徒や暴れる親など
多くの人が大迷惑と思っている行為にはもっと厳しく対処してもいい。
頼りになるのは警察なんだけど
隠れて見張っていて『ちゃんと一時停止しなかったですよね』とか
『シートベルトしていないですよね』などと、カタギの人を捕まえて
金を取るようなことをしているからどうも共感を得られない。
多少でもその場所での事故が減ることは良いことだが
その間ももっと悪い奴らがのさばっているわけで。
本気で交通安全したいのなら、携帯みなから蛇行運転しているドライバーを
徹底的に捕まえるべきだろうな。
さらに、中学校や高校を回って犯罪者予備軍もしくはすでに犯罪行為をしている生徒を逮捕して、
平等を勘違いしないように警察で教えるしか無い。日本の平和のために。