がんばれ小保方

今年は春からスキャンダルの嵐である。
それもやけに覚えにくい変わった名前の人たちが主役だ。
先ほど報道ステーションで小保方さんについて一歩踏み込んだ推理をしていた。
その一つが激しい競争。
決まった期間に実績を作らなければならないらしい。
科学の進歩は時間で区切られるものではない。
あるときは小さなひらめきや発見が一気に推し進める。
ところが、たいていは地味な研究の繰り返し、積み重ねでほんの少しだけ進歩する。
実はこちらのほうが大勢なのである。
それを許してくれない環境があるのも事実。
大学でも院生や助手や講師、教授に至るまで論文を幾つ書いたかが評価の対象。
理研のような教育がない純粋な研究施設ならその傾向が強くなるのもうなずける。
そんな環境で適合しながら生きてきたのが小保方さんではないか。
研究者として他に生きる方法がなかったと推察した。
あからさまな論文のコピペには首を傾げるところだが
1月のあの発表まで何事も無く来てしまったことが彼女の不幸だろう。
裏を返せば、多くの若い研究者が似たような方法で論文を書いているのか。
そういえば
去年、私もちょっとした論文を書いたのだが、
「何も新しい研究成果がない」と評価され、ボツにした経験がある。
そんなに簡単に新しい成果や発見があるわけがない。
研究論文というのは、闇雲に行うのではなく
仮説を立てて、立証していくのが基本。
その仮説が見込み違いとなれば、その研究は全く意味がなくなる。
それどころか、研究にかかる予算と時間がすべて無駄になる。
本来はそんな試行錯誤が研究というものなのだろうが
実績本位の社会や環境がそれを許してくれない。