老人の熱中症の死

先程、運命ということを偉そうに書いた。
6月に私をかわいがってくれた叔母ががんで死んだ。
70歳だった。
死ぬ直前、意識がなくなる直前までしっかりした言動、良い叔母であった。
難病であること、助かる確率が極めて低いことを理解しての闘病。
手術がうまくいき一時的によくなるかのようにも見えたが
肺炎を発症してしまい命がつきた。
高齢者が熱中症で死亡というニュースを見ると寿命とおもう。
もちろん手だてによっては死ななくてもすんだのかもしれない。
でも、夏の暑さ死んでしまったのだから仕方がない。
日本は毎年暑いのである。
70回も80回も経験した上で暑さで死んでしまうとすればそれは寿命である。
長く生きたいからと365日エアコンの効いた部屋にいることが本当に正しい人生だろうか。
お金が無いからと電気が止まってしまいエアコンがつかない、だから暑さで死んだ。
違うよね、原因は貧乏でもエアコンでもない。
ただ単に季節のうつろいについていけなくなっただけだ。
古くから先人たちはこれを寿命と言ったと思っている。
畳の上で死んだとすれば、それは決して悪いことではない、自然死だといえる。