「原爆の日」本気で考えているのは誰だ?

今年もこの日がやってきた。
日本では悲惨な戦争の代名詞として認知されている。
戦争は多くの悲劇を生む。
原爆だけでなく、国内は44年から45年にかけてことごとく空爆されて
かなり多くの市民が犠牲になっている。
家族を兵隊にとられて、その家族は虫けらのごとく南の島で白骨死体になった。
日本人同士でも憲兵なるものが暴力による治安維持。
沖縄では日本兵が市民を死に追いやる。
そして「不毛地帯」でも取り上げられたシベリアでの強制労働。
戦争の悲惨さは枚挙にいとまがない。
なのに、毎年今日から15日までの一週間だけのキャンペーン。
それも、原爆のようにセンセーショナルで解りやすい悲惨さのみをマスコミがピックアップ。
綺麗な人気の女優さんの目からの涙をアップでとらえるだけの低予算、低思考。
ヒロシマの式典も政府の政治家役人には外交の場としか思っていない。
その証拠に、この式典は毎年盛大になっていく。
本来、生存者や遺族は年と共に減少するはずである。
「それは違う、平和の祈りが広がっていくのだから…」と言われそうだ。
広島県では平和教育が小中のカリキュラムに入っているそうだ。
が、それ以外の場所では無い。
10代のうちに是非、ヒロシマナガサキの資料館を見学すべきだ。
それなのに、ヒロシマナガサキから遠い学校では、遠足や旅行は遊園地や物見遊山でしかないのだ。
都内には数えきれないほどの商業施設、博物館美術館が存在するのだが
例えば、東京大空襲を伝える資料館は小さいものが下町にひとつ。
江戸博に一コーナー展示。
本気で戦争の悲惨さ、平和の尊さを考えている人などいない気がする。